マルセイユは、フランス第二の都市であり、最大の港湾都市です。その歴史は紀元前600年頃に築かれた古代ギリシャの植民市マッサリアに遡ります。
現代では貿易/商業港として栄える一方、2013年には欧州文化首都にも選出されました。
そんなマルセイユの見どころを紹介していきます。
さて、今回は、マルセイユ観光では欠かせない(と思った)フリウル島(Îles du Frioul)への日帰り旅行についてお知らせします。
フリウル島およびフリウル諸島について
フリウル島はマルセイユの西側約4キロ程度のところにある人の少ない静かな島です。
ヨットハーバーもありますがあまり大型のクルーザーなどは見られずマルセイユ旧港のような賑わいもありません。
そして、一部の作業用車両を除いて自動車は無く(レンタル自転車もない)、島内での移動手段は徒歩のみとなります(かつてはプチトランがあったようですが)。
一般的にはフリウル島と呼ばれていますが、実は、ラトノー島(Île Ratonneau 北側)とポメーグ島(Île Pomègues 南側)の2つの島を人工的に堤防で繋いだ2島の総称です。
また、フリウル諸島とは、この2島に『巌窟王』モンテクリスト伯で有名なイフ島、さらにフリウル島の周りの小島を含めた総称となります。
フリウル島までのルートおよび観光について
フリウル島までは、連絡船がほぼ一時間に一本(日中はもう少し短い間隔で)、マルセイユ旧港の付け根にあるターミナルから出ています。
朝と夜以外は基本的に途中にあるイフ島を経由しますが、イフ島の港には防波堤が無いため、少しでも波が高いとイフ島行きはキャンセルになります(ということは自動的にシャトーディフの観光も不可能)。
チケットは11ユーロでイフ島、フリウル島両方によることができます。
乗船前に港に隣接するチケット売り場で購入することもできますが、時間帯によっては長蛇の列になることもあるので、オンラインでの事前購入も一考です。
私たちの滞在中は風が強く、連日イフ島への立ち寄りはキャンセルとなっていました。
また翌日のチケットはイフ島へ行けるかどうか事前判断ができないのでチケット売り場では販売できないと断られました。
そのため、天気予報を見ながら最終日まで待ちましたが、イフ島への立ち寄りは無理となり、フリウル島のみに向かうことにしました。
早朝便に乗ったため、チケット販売所は開いておらず、乗船前に直接、船の前でチケットを売ってもらいました。
イフ島に寄れないからだと思いますが、本来11ユーロのチケットが6.7ユーロで購入できました(事前に11ユーロのチケットをオンラインで買った人はどうなるんでしょうね?)。
船の運航スケジュールおよびオンラインチケット購入に関しては下記のリンクをご確認ください。
https://lebateau-frioul-if.fr/en
本来、イフ島に立ち寄りシャトーディフを見学する(このお城の廃墟が『巌窟王』モンテクリスト伯の舞台となったことろ)ことが、多くの観光客の目的なのですが、小さい岩礁のような島なので港湾施設に乏しく、というか波よけのない船着き場しかないため、天候次第というかちょっとでも波が高いとキャンセルが多発する様で、行けるかどうかは運次第です!
フリウル島北側のRatonneau島を歩く
フリウル島の港は南北の島を結ぶ防波堤の北側のほうにあります(レストランや宿泊施設もここに集中している)。
船を下船した多くの人は、我々の様にきょろきょろせず、目的地に向かってそれぞれ歩き出しました。
後でわかりましたが、どうも観光客だけでなく、地元の人も、空いている朝の船で島に来て入り江の小さいビーチ(カランク)を先取りし、楽しんでいるように見えました!
我々は島の地図を眺めながら、まずはやや大きそうなビーチに向かい歩き出しました。
途中、右手に見えるヨットハーバーを眺めながら歩いていると、ところどころこんなところも。ご覧の様に下まできれいに見える透明度でした。
しばらく歩くと、前も後ろも誰もおらず、完全に我々だけに。
心細くなりながらもさらに進んで振り返ると、船着き場やヨットハーバーからだいぶ歩いてきました。
さらにぐいぐいと歩き続けているとやっと最初の目的地、サン・テステーヴ・ビーチ(Plage de Saint-Estève)が見えてきました。
この辺まで来ると、もう下の海はどこを見てもエメラルドブルーです!
この時点で時間はまだ朝の8時半ぐらい。
ビーチはほんの1-2組だけの貸し切り状態でした(この島に泊まっていた人か、朝6時台の船で来た人だと思います)。
そもそも海に入れるかどうかも知らずにこの島に来たので、何の用意もなく、ビーチは素通りしました。
またここまで来ると、目の前に、船で通り過ぎてきたイフ島が大きく見えます。
次に目指すは、カロリーヌ病院址(L’hôpital Caroline)。
ビーチを挟んで対岸から見るとまるで、まるでギリシャ遺跡のような姿が見えますが、1823年から1828年かけて作られた、主に黄熱病患者を隔離するための病院址でした。
常に風が抜けていくことと、高台のためにマルセイユ側と連絡が取りやすかったそうです。
病院址は少し高台にあるのでビーチを回り込むようして入り江の反対側を目指します。
この間、常に眼下に見えるビーチが気になります(用意が無くひたすら後悔)。
さて病院址ですが、どうも入れなさそうな感じ。
どこか入れないかうろうろしていると、一か所だけ進めそうな道を見つけました。
しかし、現在は修復作業中で、敷地内部に入ることはできない模様。
仕方なく柵越しに中を覗き込んでみました。
思わず、やっぱりギリシャ遺跡の修復中?と思ってしまうような建築でした。
近くに修復プロジェクトの説明があったので、全体像を理解するために載せておきます。
さて、この時点でまだ朝の9時ごろ、おなかもすいてきたので、この病院址を回り込むように進み、目の前にイフ島が見える場所で休憩しました。
パンを齧りながら周りのカモメを見て時間をつぶしていました。
この時点で、周りはカモメだらけです(空も陸もカモメだらけ)。
またこの時期(5月後半)は子供のカモメが多く、近づくと親カモメに威嚇されます(まだ自分では飛べず親からエサをもらっている)。
さて、適当にカモメに威嚇されながら(右も左も子連れのカモメだらけで、歩いているだけで威嚇される)、次の目的地であるラトノー要塞跡(Fort de Ratonneau)を目指し歩き出します。
この要塞跡はラトノー島で最も標高の高い山の上に作られていました。
そして未舗装のかなりの激坂を上っていくことになりました(後で舗装道でも行ける道があることが判明・上のGoogle Mapで示されている道です)。
1886年にすでに要塞としての建築が始まっていたようですが、現在残っている部分の大半は1940年代にドイツ軍が占領しフランス海軍の戦艦の大砲を移築するために拡張された址だということです。
山頂すべてが数百メートルにわたり要塞化されていました。
いったん上部までの登ってしまうとほぼどの方向も見渡せる横に長い山頂が、まるでテラスの様に伸びています。
もちろんマルセイユの町もここからならきれいに見渡せます!(ただカモメがウザい)
ここからだと人工的に結ばれた2つの島とその堤防を利用した湾を眺めることもできます。
もちろん、ここも子連れのカモメだらけなのでそばを通るだけで親が威嚇してきます(最初は声で、そのうち上空を飛び始めフンを落としてくる)。
この城塞址で必ず見ておきたいところは、東西に延びる城塞址の西側にあります。
ここには、砲塔の土台など以外にも弾薬庫跡など、朽ちたコンクリート建設の跡が見られます。
特に骨組みだけが残り、十字架が立ち並ぶように残った建物跡は不思議な雰囲気があり、墓場のようにも見えます。
山頂に展開されるコンクリートの残骸と遺構。


西側の探索を終えて東側の端まで来ると、本来の入り口はこちらのようで、大きな門がありました(門の向こうにはイフ島)。
門をくぐり城塞の外に出ると、まさに今日歩いてきたサン・テステーヴ・ビーチ(Plage de Saint-Estève)へ続く入り江とカロリーヌ病院址(L’hôpital Caroline)を見渡すことができました(海の向こうはもちろんマルセイユ!)。
まとめ
フリウル島観光①はここまでとなります。続きは②でお知らせします。
見た目、海も静かに見えると思いますが、そこそこ風がありました。この程度でもイフ島への寄港は中止になります。
この日の気温はアッとゆう間に30度を突破、島内探索中は日を遮るものもなく、5月以降に訪問される方は暑さ対策はバッチリと行っていってください。
途中で水を補給することはできないので、連絡船が到着する港の周りに戻るまで我慢するか、多めに持って歩くか2択になります。
とにかく、交通手段は徒歩のみ、人がほとんどいない、観光客も入り江のビーチにちらほら、だから人がいる施設も港周辺以外にはないところでした。
だからでしょうか、カモメがわが物顔で闊歩、飛翔するカモメの楽園といった様相を呈していました!