さて、今回は宿泊先のプラハ マリオット ホテルから歩いて行ける旧市街の観光ポイントを紹介します。
ヴルタヴァ川(モルダウ川)右岸にある旧市街は、旧市街広場を中心に細かい路地が広がった中世の街並みが随所に残るエリアです。
多くの観光施設が旧市街広場を中心に集まっているので、まずは広場に向かって歩いていきましょう。
共和国広場から火薬塔を目指す
今回の出発点、マリオットホテルを出て旧市街広場を目指すとすぐに共和国広場に出ます。
Minicipal House (市民会館)
共和国広場の周りには、Minicipal House (市民会館?)と呼ばれる19世紀のアールヌーボー様式の巨大なコンサートホールがあります。音楽やオペラなどだけでなくレストランなどもあり、いつ通ってもとても賑やかでした。
ここにはスメタナ・ホールと呼ばれる大ホールがあり、『プラハの春・国際音楽祭』はこのコンサートホールでスメタナの『わが祖国』の演奏により始まるそうです。
内装も素晴らしく有料での見学が可能です。特にチェコ出身の芸術家ミュシャによる内装デザインは素晴らしいようです。
それ以外にも共産主義博物館やショッピングモールのPALLADIUMなどがありとても賑やかです。
また地下鉄(Metro Line B)、トラム、バスの Náměstí Republiky 駅も広場そばにあり交通の要所にもなっています。
火薬塔
Municipal House の隣は最初の目的地、火薬塔です。
ここでは早速、高いところに上って町を一望したかったので、塔のわきの入り口から細い階段を上っていきます。
中段までは誰でも入ることができますが、窓ガラスは中世風の分厚いグラスなので眺望は期待できません。中段で初めて入場料を支払い塔の展望階へ向かいます。
火薬塔の呼ばれている所以は、この後期ゴシック様式の塔がかつて火薬庫として利用されていたからのようです。
そして最上階のテラスに出るとプラハ市内を見渡せる絶景が待っていました。
まずは今歩いてきた共和国広場やMunicipal House(市民会館)見下ろしてみます。
次にこれから向かう旧市街の中心部を見渡します。
ちょうど町の中心にあるティーン教会の2つの尖塔が見え、さらにその奥にヴルタヴァ川(モルダウ川)左岸の丘の上のプラハ城もよく見えます。
そして塔の上から街並みを眺めていると、当初、勝手にイメージしていた中世の街並みのプラハに対し、なんとなくアールヌーボー風のデザインが目につき始めました。
ただこの時は、この後、新市街地区で目にするアールヌーボー風の街並みを想像できていませんでした。
ツェレトナー通りを歩いて旧市街広場へ
火薬塔を出たらそのままツェレトナー通りを旧市街広場に向けて歩ていきます。
このあたりはすでに商業エリアで様々な商店が続いています。
途中、黒い聖母像を建物2階の角に配した黒い聖母の家と呼ばれる建築物があります。キュービズム建築家ヨゼフ・ゴチャールによる建築とのことです。1-2階はカフェになっており内側からもキュービズム建築を楽しめるとのことです。
またこの建物の3階からは『キュビズム美術館』になっているそうです。
通りをさらに先に進むと、旧市街広場の一角にある旧市庁舎の時計塔が見えてきます。
旧市街広場
旧市街広場はまさに観光客の中心地という人だかりでした。
この広場に面して、旧市庁舎の時計台、旧市庁舎の天文時計、聖ミクラーシュ教会、カフカの生家、ヤン・フスと信者の像、石の鐘の家、ティーン教会などにより広場が囲まれており、日中だけにとどまらず夜遅くまでにぎやかです。
もちろんレストランやカフェもこの界隈に多く集中しています。
旧市庁舎の天文時計
旧市庁舎には時計塔と呼ばれる見学可能な塔があり、こちらも旧市街広場を見下ろすことができるので大人気です。
さらに人気があるのが同じ旧市庁舎にある天文時計です。
作成は15世紀初めにまでさかのぼるといわており、現在も朝の9時から夜の23時まで1時間おきに時報が響き、キリスト12人の使徒が天文時計上部の窓から現れます。
このからくり時計を見るために多くの観光客が毎時ごとに集まります。
簡単な仕掛け時計のため、鳴ってから駆け付けたのでは遅ので、少し早めに行って時計正面に陣取って眺めましょう!
またこの時計のすぐわきには、ツーリストインフォメーションがあります。さらにその先には、黒い模様をした建物(1分の家)があり、スグラフィット技法による漆喰の絵柄だそうです。かつてはカフカがこの家に住んでいたこともあるそうです。
建物で囲われたティーン教会
旧市庁舎の時計塔と並んで旧市街広場で目を引くのが、ゴシック様式のティーン教会の2本の尖塔です。広場から見ると写真のように目の前に建物があり、全体が見えません。
この教会、正式名称は『ティーン(税関)前の聖母マリア教会』だそうです。
ぐるりと教会の周りを歩いてみたのですが正面に出ることができません。
やっと見つけた道はなんと下の写真の建物の中をくぐるルート。どうもこれしかアクセス方法がないみたいです(なんとも不思議)。
なんでも後述のヤン・フスの信者たちが集うプロテスタント系の教会だったが、30年戦争によりカトリック教会に替えられ、それに怒ったプロテスタント系の信者が教会に入れないように建物で囲んだらしい(ホント?)
建物内の通路を抜けると教会入り口に達するが、そこはとても狭い坪庭のような空間でした(入り口手前から見上げたティーン教会、近すぎて迫力なし)。
また、教会には入れますが、内部には柵があり、観光者はそれ以上中へは進めません。また写真撮影は禁止されています。
内部は豪華絢爛なバロック様式となっております。
表のドアも決まった時間しか開いていないので見学する際はご注意ください。
日本語サイト等では午前中の開館時間が10時から13時となっていますが、チェコ語や英語ではアップデートされて10時から12時となっているのでご注意ください。
またティーン教会のそばには、石の鐘の家と呼ばれる外壁の角に鐘が半分食い込んだようにつけられている建物があります。
ヤン・フスと信者たちの像
ヤン・フスはプラハの宗教家であり、聖書に基づく信仰をルターよりも100年も前から唱えていた人物。異端者として最後は火刑にされてしまいます。
現在は、旧市街広場に堂々たる銅像として、かつての活動がたたえられているように見えます。
また広場の一角には、1621年のビーラー・ホラーの戦いでカトリック勢力に殺されたプロテスタント側の指導者27名の名前と十字架が、石畳としてその記憶を残しています。
まとめ
旧市街広場には、さらにキンスキー宮殿やバロック様式の聖ミクラーシュ教会などもあり、見どころ豊富すぎて止まりません。
下記のプラハ市公式観光ポータルでは日本語で細かな情報が提供されていますのでご興味ある方は覗いてみてください。
ただし、チェコ語や英語に比べるとアップデートはおろそかなような気もしますので、金額や開館時間の確認は英語に切り替えて確認されることをお勧めします。
次回は旧市街広場からカレル橋を渡り対岸まで行ってみます。