さて今回は、ギリシャ・ペロポネソス半島西部ある古代都市オリンピアの紹介です。
古代オリンピックの発祥の地あり、現在も続く4年に一度のオリンピックにとっても聖地のような場所です。
1989年には世界遺産へも登録されました。

古代オリンピックに関して
オリンピアは、ゼウス神に捧げられた聖域でした。
古代ギリシャ語で『アルティス(聖なる森)』と呼ばれたこの場所は、アルフェイオス川とクラデオス川が合流する肥沃な谷に位置し、古代世界において最も重要な聖域の一つを構成していました。

また、ここは『ヘレニズムのへそ』として知られ、紀元前776年から紀元後393年まで開催された古代オリンピック競技の聖地でした。
この遺跡の歴史は千年以上に及び、その起源は新石器時代末期(紀元前4千年紀)にまでさかのぼり、紀元前5世紀にその栄光の頂点に達しました。
壮麗なドーリア式のゼウス神殿は、紀元前470年から456年にかけて建立されたそうです。

オリンピックのはじまりは、伝染病の蔓延に困ったエリス王イフィトスが争いをやめ競技会を復活せよと言うアポロンの啓示を受けた事に由来すると伝えられていそうです(競技会の発端となる『競技会を復活』と言う啓示のくだりは過去にも競技が存在したことを示唆するものと考えられ、実際の競技の開始はもっと早かったのではと考えられている)。
これがゼウス神への奉納競技の始まりで1000年以上、293回に渡って行われましたが、394年にローマ帝国皇帝テオドシウス1世の異教神殿破壊令により廃止されました。
近代オリンピックにおける聖火は現在もオリンピアのヘラ神殿において凹面鏡を用いて太陽から採火されています。

2004年のアテネオリンピックでは男女砲丸投の競技がこの遺跡内の競技場跡(スタディウム)で行われました。

古代都市オリンピア遺跡
古代のオリンピアの遺跡には、現在のオリンピアの街から徒歩でアクセスできます。
街外れの大きな橋を渡るとすぐに左手にチケット売り場、そして右手には柵越しにヘレニズム時代、紀元前2世紀に建設された広大な長方形の複合施設であるギムナシオン(トレーニング施設:オリンピック競技大会に向けてトレーニングを行う選手たちのための訓練場としてつくられた)が現れます。



この日は2月末でしたが、天気も素晴らしく遺跡の中は一面草花が満開でした。
さて、ここからジムナシオンを右に見ながらゲートをくぐり古代遺跡に足を踏み入れます。
ちょうど下の地図の左上部から遺跡に入ります。

この遺跡の難しさは、時代ごとにその建築物や利用され方などが変化しており、特にローマ期にはその役割なども大きく変化していることです。
そのため、その変化も感じつつ散策できるとより楽しめるかと思います。
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時代区分 |
年代(紀元前/後) |
歴史的出来事・特徴 |
主要遺跡・建造物 |
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初期と成立期 |
約10世紀~6世紀 BC |
・アルティス(聖なる林)の形成とゼウス信仰の成立・居住地から礼拝の場へ変貌・多くの奉納品が祭壇に捧げられるようになる |
・アルティス(Altis)・ヘラ神殿(Temple of Hera / Heraion)最古構造・プリュタネイオン(Prytaneion)・ブーレウテリオン(Bouleuterion)・宝庫群(Treasuries)・ペロピオン(Pelopion)英雄崇拝場 |
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黄金時代(古典期) |
5世紀 BC |
・オリンピアの栄華の頂点・壮大なゼウス神殿の建立(470〜456 BC) |
・ゼウス神殿(Temple of Olympian Zeus) |
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彫刻と勝利の栄誉 |
約430〜421 BC |
・フェイディアスの金象嵌像ゼウス像(七不思議)を神殿内に安置・競技違反者の罰金による「ザネス像」設置・パイオニオスのニケ像奉納 |
・ゼウス像(Statue of Zeus)・フェイディアス工房(Workshop of Pheidias)・ザネス像(Zanes)・パイオニオスのニケ像(Nike of Paionios) |
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マケドニア・ヘレニズム期 |
4〜1世紀 BC |
・アルティス外へ建築活動が拡大・世俗建築増加(運動・訓練関連) |
・ギムナシオン(Gymnasium)・パライストラ(Palaestra)・フィリッペイオン(Philippeion)・レオニダイオン(Leonidaion) |
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ローマ期 |
1世紀 BC〜4世紀 AD |
・聖域は引き続き繁栄・帝国崇拝の神殿として転用・ニンファエウム建設・オリンピック開催は普遍的性格へ拡大 |
・メトロン(Metroon)/ セバステイオン(Imperial Cult Temple)・ニンファエウム(Nymphaeum)・スタディウム(Stadium:競技場)・その他、公共建築(Baths 等) |
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後期古代・終焉期 |
5〜7世紀 AD |
・393年 テオドシオス1世の勅令で異教・競技禁止・ゼウス像がコンスタンティノポリスに移転・キリスト教集落の出現・洪水・崩落で放棄 |
・フェイディアス工房跡が初期キリスト教バシリカに転用 |
全ての建築物を紹介することも難しいので、勝手にいくつかピックアップして紹介していきます。
ゼウス神殿(紀元前470〜456年)
遺跡群の中核をなす最重要建造物となります。
建築家リボンによって設計されたドーリア式神殿で、完成当時はギリシャ本土最大の神殿のひとつでした。

現在は地震による倒壊で巨大な円柱の柱が崩れ無秩序に散乱していますが、その一本一本が直径2.2メートルに及ぶことから、往時の巨大さを実感できます。

神殿内部の本堂には、彫刻家フェイディアスが制作した『オリンピアのゼウス像』が安置されてらしいです。
その座像の高さは約13メートルに達し、象牙と黄金を組み合わせたクリセレファンティン技法で作られたこの像は、古代世界の七不思議のひとつに数えられていたそうです。
像そのものは現存しませんが、東側ペディメント(三角破風)と西側ペディメントの彫刻群の一部が考古学博物館に保存されており、神殿の外観的な精巧さを実際に目にすることができます(これはなかなかすごかった!)。
アテネオリンピックに合わせて、2004年、文化省はドイツ考古学研究所およびA. G. レヴェンティス財団の支援のもと、神殿の規模や立体的構造に対する来訪者の理解を深めるため、円柱1本を完全に再建しています。

ヘラ神殿(紀元前7世紀末〜6世紀初頭)
アルティス内で最古の建造物です。

ゼウス神殿より200年以上古く、初期ドーリア式建築の貴重な実例と言われています。

もともと木製だった柱が時代とともに石造に置き換えられていったため、神殿内の各柱が微妙に異なる様式を示す点が建築史的に興味深いらしい。

すでに記したようにオリンピックの聖火採火式は現在もこの神殿の前で行われており、古代から現代への精神的連続性を象徴する場として今も機能しています。
スタディウム
ヘラ神殿の東に位置する古代の競技場跡です。

全長192.28メートルのトラックは、古代の『1スタディオン』(約600フィート)に相当し、現代の『スタジアム(stadium)』という言葉の語源にもなっているのもお分かりいただけると思います。
両側の土手は観客席として機能し、推定で最大4万人を収容できたそうです(今は斜面の原っぱ)。

石造のスタート台が現存しており、選手が実際に足を置いた位置を今でも確認できます。
言うまでも無く、ここに来た人は皆ここに足を置いてよーいドンと走ってました。

現代でも聖火リレーや記念競技が行われることがあるそうです。
入場ゲートとなる『クリプテ(Krypte)』は、選手や審判が競技場に入場した石造のアーチ通路であり、くぐり抜けた瞬間に古代アスリートの視点を体感できる数少ないポイントで、なんとなくこんな風に入場したのだなあ、と感じることができます。

ここスタディウムはこのオリンピア遺跡の中でも最もオリンピックを想像させる象徴的な場所とも言えます。
2004年のアテネオリンピックではここで本当に競技(砲丸投げ)が行われたっていうのがまだすごいですね(選手にはやりずらかったと思いますが)。

と言うことで、ここに来たら皆さん是非走ってみましょう。かなり広いです!
パレストラ(体育練習場、紀元前3世紀)
ボクシングや格闘技(パンクラチオン)の練習に使われた正方形の回廊建築です。
四方をドーリア式の列柱廊が囲み、中央に砂敷きの練習場があったらしいです。

柱の多くが残存しており、古代スポーツ施設の空間構成をよく伝えるといわれていますが皆さんいかがでしょうか。

隣接するギムナシオン(陸上・投擲練習場)とあわせて、選手たちが競技前に数ヶ月間ここに滞在して訓練を積んだことが文献に記されているそうです。
ただ今は2月末にも拘わらずその中庭(練習場)は草花が満開となっていました。

フィリペイオン(紀元前338〜316年頃)
アルティス内で唯一の円形神殿(トロス)で、マケドニア王フィリッポス2世がカイロネイアの戦い(紀元前338年)の勝利を記念して建設を始め、息子アレクサンドロス大王の時代に完成したそうです。

内部にはフィリッポス2世、アレクサンドロス大王、アレクサンドロスの両親など、マケドニア王家の黄金像が奉納されていたとの事。
聖域内に人間の像を置くことは異例であり、フィリッポス2世の政治的意図(神格化に近い権威の演出)を示す建物として歴史的に重要視されているようです。
それにしても当時のマケドニアの勢力が伺えます。

ちなみにこの柱も、ゼウス神殿の柱と同様にドイツ考古学研究所などの協力のもと復元されたそうです。
宝物庫群(テサウロイ)
スタディウムへと続く丘の斜面に沿って整列する小型神殿群。

シキュオン、シラクサ、エピダウロス、メガラなど各都市国家が奉納品や財宝を保管するために建設したもので、ギリシャ世界における各ポリスの経済力と信仰心の競い合いを示しているそうです。

多くは基礎部分のみが残っていますが、全体を俯瞰すると古代の参道景観が想像できるとのこと。
エコー・ストア(反響の柱廊、紀元前4世紀後半)
スタディウム西側の入口に沿って伸びる全長約98メートルの長大な列柱廊(ストア)。

内部で叫ぶと声が7回反響したとする古代の記述から『エコー・ストア』または『ヘプタエコス(七たびの反響)』と呼ばれました。
奉納された絵画が展示されていたとも伝えられ、単なる通路ではなくギャラリー的な機能も担っていたと思われます。

この建物はアルティスの東端を画する境界でもあり、聖域と競技場を緩やかに分節する都市設計上の要素として機能していたそうです。

現在は再建された柱1本と柱の基部と土台部分が確認できる程度ですが、当時の規模を十分に想像できるほどのしっかりとした土台が残っています。
レオニダイオン(賓客宿泊施設、紀元前4世紀中頃)
アルティス南西に位置する大規模施設で、ナクソス島出身の建築家レオニダスが自費で建設・奉納したとされます。

中央に柱廊に囲まれた庭園(ペリスタイル)を持ち、その外周をさらに柱廊が取り囲む二重回廊構造は、贅沢な空間構成として当時でも異例だったそうです。

本来は競技参加の貴族や来賓の宿泊施設として機能していましたが、ローマ支配期には総督の公邸として転用されたことが記録されています。
建物の機能がローマ統治の行政拠点へと移行したことで、オリンピアが純粋な聖域から地中海世界の政治空間へと組み込まれていく変化を示している遺跡です。

外周の円形イオニア式列柱の基礎が広い範囲に残存しており、施設規模の大きさが実感できます。
オリンピア考古学博物館
古代遺跡から徒歩数分で、この遺跡で発掘されたものを展示している考古学博物館があります。
ギリシャでは考古学博物館は至る所にありますが、多くの出土物がアテネなど大きい博物館でないと見れない中、ここでは、オリンピアで発掘された出土物をそのまま展示しているので、絶対に合わせて訪問していただきたく思いました(チケットも遺跡と共有なので)。

1982年に現在の建物となった考古学博物館は、オリンピア遺跡から出土した彫刻、青銅器、陶器、奉納品を体系的に展示する施設で、ギリシャ国内でも屈指の収蔵内容を誇っているそうです。
年代順・テーマ別の構成で、訪問者がオリンピアの歴史を時系列で追えるように設計されているのが特徴です。

遺跡見学の前後どちらでも訪れる意義がありますが、先に博物館を見てから遺跡へ向かうと、廃墟の状態にある遺構の元の姿がより鮮明にイメージできると説明文には書かれています(我々は逆に遺跡の後に行きましたが、それもアリだと思います)。
ニケ像(パイオニオス作、紀元前421年頃)
メッセニア人とナウパクティア人がスパルタに勝利したことを記念して奉納した大理石の勝利の女神像。

高さ2.1メートルの本体が翼を広げ、斜め前方に降下する姿勢を取っており、台座と合わせた総高は約9メートルに達したそうです。

衣服が風になびく動的な表現と、飛翔感を彫刻で実現した技術的な達成度は、古典期ギリシャ彫刻の精華として高く評価されています(翼が無いのがなんとも残念です)。
ヘルメス像(プラクシテレス作、紀元前4世紀)
本博物館の最重要展示であり、おそらくオリンピアで最も有名な単体作品。
ヘルメスが幼児ディオニュソスを抱き上げる情景を表した大理石像で、完成度の高い保存状態で発見されました。

肌の質感、筋肉の自然な量感、緩やかなS字カーブを描く腰のポーズ(コントラポスト)はプラクシテレスの特徴を体現しており、後期古典期彫刻の代表作とされています。
ただし「プラクシテレス真作か、後代のローマ時代模刻か」という論争は現在も完全には決着していないそうです(いわれてみれば確かにローマっぽい気もする)。
ゼウス神殿ペディメント彫刻群
東側ペディメント(競技開始前の誓いの場面、中央にゼウス、左にオイノマオス、右にペロプス)と西側ペディメント(ラピタイ族とケンタウロスの戦い)の彫刻群を展示する専用ホール。

ゼウス神殿完成時(紀元前456年頃)の水準を伝える大規模大理石彫刻として、博物館の中核展示となっています。

表情と身体表現の対比『穏やかなゼウスと格闘する人物群の動的描写』は、古典初期ギリシャの彫刻様式の到達点を示しているといわれています。
この彫刻群は神殿の大きさを理解するためにも絶対に見逃せません。
その他多数のコレクション
もちろんこれ以外にも紀元前10〜7世紀の奉納品として出土した大量の青銅製小型像(馬、戦士、雄牛)や三脚釜(トリポッド)などの展示やゼウス神殿の巨像を制作したとされるフェイディアスの工房跡(アトリエ跡)から出土した工具類、象牙片、テラコッタ型などが展示されてます。




さらに競技関連出土品としてストリギル(身体の汚れを落とすスクレーパー)、アスリートの石製スタート台の部材、オリンピック競技の審判員(ヘラノディカイ)に関連する記念碑、さらに勝者の名を刻んだ碑文断片などが展示されています。
古代スポーツの実態を物質資料から追える構成であり、競技史に関心のある訪問者にとって充実したセクションとなっている。
オリンピアへのアクセス
アテネおよびパトラからオリンピア遺跡へのアクセスは、ギリシャの長距離バス(KTEL)を利用するのが一般的です(4.5-5時間)。
アテネからオリンピアへは、直行バスが1日1〜2本程度しかありません。
そのため、本数が多い『ピルゴス行き』に乗り、そこで乗り換えるルートが最も安全で現実的と思います。
同様にパトラからアクセスする場合も、やはり直行便は稀なため、ピルゴスを経由します(2.5-2時間)。
どちらの都市から出発する場合も、ピルゴス(Pyrgos)という街が重要な乗り継ぎ拠点となります。
鉄道での移動が原則難しいギリシャでは、時間を節約したい場合は、やはりレンタカーを利用することをお勧めします。
近年は高速道路の普及も進み、ロスなく移動できる利点があります(ギリシャはそもそもレンタカーがかなり割安です)。
まとめ
随分長文となってしまいましたが、オリンピアに関しては古代遺跡と考古学博物館の一体感を強く感じたので一つにまとめました。
文中にも記しましたが、ドイツ考古学研究所等が遺跡の保存や復元に深く関与しているようで、各遺跡の説明プレートにはギリシャ語、英語、ドイツ語の説明が付いており、我々にとってはとても理解しやすく助かりました。
古代遺跡はまるで公園の様に草花が満開でとても観光に適している季節(2月末だけど)に訪問で来たことが何よりでした。

また通常は20ユーロの入場料(遺跡と博物館共通チケット)が、冬季には定期的に無料になるタイミングがあり、そのタイミングで訪問で来たこともラッキーでした(すごく得した気分になれる)。
どうも11月~3月の冬季期間には第一日曜日が無料になるみたいです(多分)。