ロードス島は、ギリシャ・ヘレニズム時代、中世の十字軍時代、オスマン・トルコによる統治の時代と様々な文化遺産が残る島で、特に中心地であるロードス(ロードスタウン)はいまもこの島の中心地であり続けています。
今回はそのロードスタウンから海岸沿いに約50Km程度離れた、美しいビーチと白壁で埋め尽くされたリンドスの町(Lindos)と海岸線の絶壁に建つアクロポリス(一般的にはアクロポリスと呼ばれているが、古代ギリシャ時代からオスマン・トルコの時代まで神殿や要塞としても利用されていた)へ案内します。
リンドスへのルート
ロードスタウンからは島一番の幹線道路である95号線をひたすら南西に向かって進みます(サンピカ修道院へ向かうルートと同じでちょうど半分くらいのところにサンピカ修道院への脇道があります)。
95号は少し内陸側を走るため、常に海が見えるわけではないのですが、リンドスが近くなるに従い、ビーチを持つ街道沿いの町が増えてきます(ビーチ用グッズの店が多くたち並ぶ)。
海岸線はビーチと切り立った崖や丘が交互に入れかわりながら連なっている感じで、ビーチ沿いは低地のまっすぐな道、ビーチが途切れると上り路になり峠越えの繰り返しでした。
おおよそ一時間ぐらいの道のりでリンドスを見下ろす峠にたどり着きます。リンドスの町とアクロポリスのある丘を眺める絶景ポイントとして車やバスも止められるスペースがあります。
ここまで来るとリンドスまではすぐ。駐車場を探し車を止めます。
町に隣接した駐車場はそこそこの駐車料金となるので、やや離れたところに駐車して観光開始です。
駐車場から見たリンドスの町とアクロポリスの立つ丘。
もちろんロードスタウンからバスで向かうことも可能です。所要時間は約1時間45分から2時間程度でハイシーズンには頻繁に出ているようです(片道5.5ユーロ)。
詳しくは下記のサイト(KTEL社)でバスの時刻表と値段の確認ができます。ハイシーズンとオフシーズンで時刻表等変わりますので適用期間の確認を忘れずに!
リンドスとアクロポリスの歴史
リンドスは紀元前11世紀ごろにドーリア人により建設されたようです。アクロポリスの出土品からは、ミケーネ時代にはすでにギリシャ人がリンドス周辺に定住していた可能性が高いと考えられているようですが(さらにはミノア人の存在も否定できない)、リンドスが繁栄するようになったのは、ドーリア人の到来によるものであると考えられています。
海に突き出すような岸壁とその両サイドに2つの天然の港があるという好立地だったので、早くから重要性を持っていたと考えられています。
リンドスは、ギリシャ世界とフェニキア人との交流の初期の中心地であったようです。
紀元前408年には島内の他の2つの海洋都市と協力して島の北端に合同のポリスを建設しています(現在のロードスタウンではなく、その郊外に遺跡がのこるロードス・アクロポリス)。
リンドスのアクロポリスには、古代ギリシャ時代にはアテナ神殿を建設され、ローマ時代にさらなる神殿が建てられました。
ローマ衰退後に荒れ果てたアクロポリスはその後、中世末期の聖ヨハネ騎士団によって対オスマン・トルコのための要塞として利用されていました。
リンドスの街歩き
真っ白な壁の建物がひしめくリンドスの町は、町の南と北側に美しい入江とビーチ、そして眼前にはアクロポリスの丘を持つ絶景の観光地。
町の中は車での侵入はできず、石畳の道は徒歩でのみ移動が可能です(地元の人は小型バイクで走ってくるので注意要)。
メインストリートにはお土産屋や飲食店、カフェなどが多く立ち並んでおり、とても賑やかです。
町の中心にはパナギア教会があり、入場料がかかりますが、ギリシャ正教会の内装のすばらしさを目にすることができる貴重な教会でした。細い石畳を歩きながら教会の尖塔を見つけて向かいましょう!


内部は撮影禁止のため写真はありませんが、ギリシャ正教独特の祭壇だけでなく、礼拝堂内の壁のデザインや絵はとても印象的でした(入場料3ユーロ)。
また町外れに古代劇場址も残っています。こちらは柵があり立ち入りはできないので外から見学するのみとなります(もちろん無料)。
町の中を一通りぶらぶらして、お土産の品定めなどをしながら、アクロポリスへの道を探します。
アクロポリスに登ろう
アクロポリスへの上り路ですが、町の中にロバ乗り場があり、ロバに揺られてアクロポリスに向かうか、坂道を自分で歩いていくことになります。
あまりはっきりとした表示板が無く、適当に路地に迷い込みながら歩きます。ロバが歩いていれば正しい道です!
匂いが気にならないのであれば、ロバの後を付いてアクロポリスの入り口まで向かうことができます(ロバの利用者はそこそこいました)。


ほんの数分で町の外れに達し視界が開けていきます。このルートからはリンドスの町の北側にあるリンドス・ビーチを眺めながら進んでいきます。観光シーズンが終わる10月末ですが、気温は25度もあり、日中は海水浴客でそこそこ賑わっていました。
さて、この辺からは太陽を遮る建物もなく、炎天下の石畳の道を上へ上へと進んでいきます。


アクロポリスへの入り口まで来ると道は石階段となるため、ロバのお仕事もここまでとなります。
アクロポリスの見学
ロバの乗降場からすぐに小さい門をくぐり石階段を進むと、入場券売り場、さらにゲートのある入口へ続きます。


ここまで来ても城壁で囲まれた城塞(聖ヨハネ騎士団によるものかと思います)はまだはるか上のほう、少し城塞の足元にある広場で休憩しながら眼下に広がるリンドスの入り江を眺めます。
さてここで、アクロポリスの全体像を紹介している案内板に目を通します。この説明や絵からはかつての古代ギリシャ時代のアクロポリスの様子が伺えます。
多々ある島の一ポリスにこれほどまでの神殿を作り上げた古代ギリシャってどんな時代だったのでしょうかね?
アクロポリスに向かう階段とその上部の建物は明らかに中世の聖ヨハネ騎士団時代の城塞と思われ、神殿だった時代の姿はありません。
しかし、そこへ向かう階段の手前の岩に神殿があったころに作られたと思われる古代ギリシャ時代のレリーフが残っていました。
さて、それでは、アクロポリスに向かって最後の階段を上ってきます。階段上部に見える部分は中世の城塞(聖ヨハネ騎士団の建物)として利用されていた時の増築部分のようです。
城壁内に進み最初に現れる部分は崩壊がひどいのか利用目的がはっきりしません。ただ明らかに城塞内部から見た壁は中世の時代に付け足されたものかと思われます。
岩場を進み上部へ向かうに従い視界が開けていき、復元されているアクロポリスの石柱などが見え始めます。
かつてはこのような構造のアクロポリスがあったようですが、20世紀初頭の行われた復元作業が正しい考古学的プロセスを踏まず、神殿の石で城壁を組みなおしたり、石柱をセメントで作り復元を行ったりしたこともあり、正確な記録と正しい復元を困難にしてしまったそうです。
そのため、現在進行形で、遺跡調査と復元作業が行われており、エリア内の一部には重機などが入ったままになっていました。
アクロポリス最上部の南端まで来ると、アテネ神殿の一部が復元されていました(上部の図では最上部に位置)。
ここからは、リンドスの町を見下ろすことができます。
また、さらにリンドスの南側にあるサン・ポール湾を眼下に見ることができます。写真だと池の様に見えてしまいますが、きちんと海と繋がっており、また海水浴場にもなっていました。
そこからアテネ神殿の正面に回るとその部分が現在はテラスとなっており、東側に開けるエーゲ海を一望できます。
同じテラス上から神殿下部を眺めると、現在は柱の一部と階段部分が復元されていますが、ここにかつては神殿や回廊が立っていたんですね。かなりの規模感でした。


改めて神殿に向かう階段を下り下部のほうを見ていきます。
神殿を構成するギリシャ時代の建築物の下部まで降りると、ビザンティン時代に建てられた礼拝堂跡も現れます。
アクロポリスはさらに下部に延びており、城壁まで下り改めて神殿のほうを見ると最初の階層とその上にある石柱までしか目に入らず、ここからでは最上部にあるアテネ神殿までは見えないようです。
未整理の石が多く散乱していますが、どれも加工されたもののように見えるので、かつての建築物の一部だったものなのでしょう。
クレタのクノッソス宮殿のようにとまでは思いませんが、さらなる発掘と復元作業からもう少し再現部分が多くなればさらに面白いだろうなという気もしました。
でも、古代ギリシャ時代、ローマ時代、東ローマ時代、中世(聖ヨハネ騎士団)、オスマン・トルコ時代と複数の時代の遺跡が一カ所にあるということで、どういう形で再現するのか決めるが難しいかもしれませんね。遺跡自体の時代が判りづらくなってたりもするでしょうし。
いろいろな時代に利用されてきたこの遺跡は、ロードス島で必見の観光スポットだと思います。
入場料は、少し高めの12ユーロでしたが、是非予定に組み入れてください。
最後に
アクロポリスからの帰り道はせり立つ城塞を回り込むように作られたもう一つの道を下っていきました。
途中、下に見えるリンドスの街並みの中に、見学したパナギア教会を発見。
さらに町に近づくと、石畳の階段となり再びお土産屋さんがならぶ道となりました。石段はこれまでの大きい石ではなく、こちらの海岸でよく目にする丸まった石を敷き詰めた道になっていました。歩いている間、ずっと足つぼを刺激されている感じです!
全体で3-4時間の滞在でしたが、町の中の散策もアクロポリスの見学もとても印象深く、いい思い出になりました。ロードス島観光では外すことのできない観光ポイントだと思います。
ちなみにギリシャなのでネコの数は相当です。最初はあそこにもいる、ここにもいると写真に撮っていましたがキリが無くなりました。家猫なのか野良なのかわかりませんが、つやつやとした毛並みの美猫ちゃんが多かったのが印象的でした。