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【アルザスワイン街道を行く】名車ブガッティの町、モルシャイム(Molsheim)

フランス・アルザス地方を南北に抜けるアルザス・ワイン街道(La Route des Vins d'Alsace)。

今回紹介する町は街道の中でも北方にあるモルシャイム(Molsheim)です。

ドイツ語表記では、Molsheim(モルスハイム)となります。この町はまさにドイツ語表記そのままの綴りですね(発音だけフランス語になるのは面白い)。

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モルシャイムについて

本格的にスタートするアルザスワイン街道の中で今回ご紹介るのがモルシャイム(Molsheim)です。

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モルシャイムの歴史をお話する前に、今も昔もこの町を有名にしているのは、なんとワインだけでなく自動車なんです。

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実はこの町、イタリア人自動車技術者だったエットーレ・ブガッティ(Ettore Bugatti)があの名車ブガッティを製造していた町なんです。

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自動車製造会社であるブガッティ社は、その後、行き詰まり、商標権と製造販売権が変わり、一時期はイタリア人実業界によりモデナでの製造がおこなわれていましたが、90年代後半にドイツ・フォルクスワーゲン社が商標権と製造販売権を取得し新たに100%子会社を設立、モルシャイム郊外のかつてのブガッティのゲストハウスであるお城を本社にして再建されました。またそのすぐそばに工場も新設され製造がおこなわれています。

さて今回も前置きが長いですが、ここからはモルシャイムについて。

この町が初めて歴史に登場するのは820年に行われたストラスブールの司教への寄付証書の中だそうです。その後も幾度か歴史的資料の中で名前は出るようですが、主な話としては宗教改革の最中、他のアルザスの町々がカトリックから離れていく中、カトリック復権の中心地のような立場になったようです。

その流れはハプスブルグ家の勢力やイエズス会の活動と相まってアルザスに再びカトリックの流れを強めることとなりました。

またワインの話ですが、この町のそばの畑、Bruderthalはグラン・クリュに属しています。名前はかつてシトー派の修道士たちが名付けたことに由来し、歴史に登場するのは1316年でストラスブールの司教がそのブドウ畑を所有していました。ここでは主に白ワインが生産され、”Finkenwein”と呼ばれイギリス王室にも供給されていたそうです(当時のブドウ品種は不明)。

町の観光について

電車でこの町に向かう場合は、ストラスブール中央駅からローカル線で15-20分程度で到着できます。そしてこの町からワイン街道に沿って南に向けて列車の旅が可能です。

車の場合はストラスブールから高速道路を経由して30分程度で到着します(このエリアの高速道路は無料です)。中世を街並みを残す欧州の田舎町では今もかつての市壁内に歴史的建造物が多く残されていることが多いのですが、その市壁の周りにリンク状に主要道路ができており駐車場などもその道路沿いに作られていることが多くあります。

我々もそのような駐車場を出て、まずは町の中心である市役所広場(Place de l'Hôtel de Ville)に向かいます。

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ちょうどこの広場に面してツーリストインフォメーションがあるので、そこで町の地図を入手すると1-1.5時間ぐらいで効率よく観光ポイントを回れます。

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さて最初は、市役所広場に面して建つ1583年築の通称”Mezig”(地図①)、もと肉屋組合だった建物です(現在は一階はカフェ・レストランになっています)。

このルネッサンス様式の建築は2つの階層からなっており、広場に面した二方向からの階段で2階にある入り口に向かうことができます。

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2階の入り口上部にある1607年製造のムーンフェイズ付き時計は時間ごとに両サイドにならぶ2人の天使が鐘を鳴らしてくれるそうです。

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さてここから広場を離れ観光スタートです。

広場からつながるエグリーズ通り(Rue de l'Église)に入るとここにも変わったファサードの建物が。ちょっとバリ島のようですよね?

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次に登場するのは登記裁判所(Tribunal de Proximité)、ネオ・ルネッサンス様式で1906年の建物とのことです(地図②)。かつては建物裏に牢屋などもあったそう。

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この裁判所のすぐ向かいに、ノートルダム礼拝堂(Chapelle Notre-Dame de Molsheim)があります(地図③)。

1860年ごろに建てられたネオゴシック様式の礼拝堂です。祭壇部のみ壁も屋根にも彩色、装飾が施されており、光が差し込むことで色鮮やかな模様をよりはっきりと浮き出させます。

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ノートルダム礼拝堂を回り込むように進むと、この町で一番大きい教会であるイエズス教会(Église des Jésuites)にたどり着きます(地図④)。1617年建築のこの教会はフランス革命以降、教区教会として需要な役割を演じていたようです。

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正面の祭壇は常にステンドグラスから差し込む様々な色で照らされており、さらに左右の袖廊にも金で縁取られた枠の中に様々な絵画が描かれています。

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教会のパイプオルガンはヨハンーアンドレアス・ジルベールマンにより1781年に製造されたアルザスで唯一4オクターブのエコーを奏でられるオルガンです。

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横方向から見たイエズス教会の全景

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またこの教会のすぐわきにはオリーブの園でのイエスの苦悩を表現するモニュメント(Mont des Oliviers)があります(地図⑤)。かつてこの地にあった修道院(すでに解体されている)のほんの一部を後世に残すためにここに移築されました。。

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次に登場するのはかつての貨幣製造所(Hôtel de la Monnaie)があったところですが(地図⑦)、残念ながら現在の建物は当時のものではないようです。現在は多目的ホールとして機能していますが、今現在はコロナワクチン接種センターになっていました。

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さて次は、写真では建物の壁だけですが、地図⑧の十分の一税倉庫です。読んで字のごとく昔の十分の一税で集められたものを保管しておく倉庫だったようです。

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さらに進むとルター教会(Presbytère Protestant)が現れます(地図⑪)。

1870年以降増加する新教徒にために作られた新ネオルネッサンス様式の教会のようで、特に鐘楼部分に特徴があるそうです。残念ながら中に入ることはできませんでした。

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最後が、旧市街へ入る門の一つ、鍛冶屋門(Porte des Forgerons)です(地図⑫)。14世紀初頭に建てられたこの門は、町を守る市壁の中でも防衛上欠かせない建物となっていました。かつてはこの門の外には市壁を取り巻く外堀があり、木の橋を下すことで外との出入りが行われていました。

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まとめ

町中にはあまりワイン街道を印象付けるような風景やお店は無いようでした。むしろこの町はワイン街道をこれから南下する際、特に電車を利用する際には重要性が高そうです(この町ストラスブールからの路線は西と南に分岐します)。

それでも町のいたるところに中世の面影が残る町であることに変わりはありません。悪天候で滞在時間があまり取れず、やや後悔の残る訪問でした。

www.oni-taiji.com

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